FNS歌謡祭2016での長渕剛の「乾杯」の本当の意味を考える 前編
ネットのニュースのほうで大きく出ていたので、録画ですが『FNS歌謡祭2016』を視聴しましたが、ニュース記事で読んだ通りに長渕剛さんの「乾杯」が圧倒的に凄かったです。
さまざまなアーティストが出演するステージでの大トリというのは、そのステージの「まとめ」の役割があるのですが、まとめではなくて、すべて長渕さんが持っていったのではないかという気がします。
歌詞の字幕が、しっかりと出ていて、TV局も容認していることは明らかですので、その点は問題はまったくない気がします。
長渕剛はずっと本物のアーティスト
紅白でも伝説を作っていますが、これが長渕剛さんなんです。ファッションとして使われる言葉の「アーティスト」ではなく、今でも長渕さんは本物のシンガーソングライターであり、本物のアーティストです。
キャリアがない人が「こんな世の中はよ〜」と歌ってもガキ扱いで終わってしまいますので、ストレートなプロテスト・ソングは長渕さんクラスの大物がやって意味があり、はじめて影響を与えます。
長渕剛というアーティストは「自分の言いたいことだけを一方的に主張しているだけ」のように感じる人もいるかもしれませんが、自分の主張とリスナーとの距離感であったりコミュニケーションのバランスを非常に重視しているのが長渕さんです。
重視しているというより彼は圧倒的に天才ですので、その感覚が身についているという表現のほうが相応しいかもしれません。(本人は認めないかもしれませんが間違いなく天才です。)
それができないとファンだけでなく、周りのスタッフも離れてゆきますから、今でも第一線のアーティストでいられるわけがありません。
また「わがまま」「扱いにくい」「自分勝手」という言葉が長渕さんをよく思っていない人からは頻繁に使われますが、長渕さんは音楽に対してはもちろんですが、さまざまなことに本当に真剣です。
曲がったこと、筋を通さない人間、利用しようとする人間が大嫌いです。そして、優しくて暖かくて繊細です。こんな長渕さんだからこそ、多くの人が惹かれています。
音楽の持つ力
アイドルにも歴史や文化があるように、ボブ・デュランがノーベル文学賞を受賞して話題になりましたがロックやフォークの世界にも先人たちが築いてきた歴史や文化があります。
ロックやフォークは時に社会にある「無意味な常識、秩序、道徳」を、その力で壊してきましたが、最近は音楽が溢れすぎてしまったということもあるのですが、その力が弱まって消耗品みたいになってしまっています。
本来の音楽の持つ力がなくなっていると感じているのと同時に、このままでは「音楽という文化」がなくなってしまうという危機感を持っている人は長渕剛さんだけでなく音楽業界にもかなりいます。
実は生前の尾崎豊さんも「日本の音楽はある程度のところまで来るとラブソングっぽいものに妥協してしまう。このままでは音楽文化はなくなる」というようなことを言っています。
ここまで書いてきて思ったよりも文章が長くなってしまったので前編と後編の2回にわけることにします。
後編は「長渕剛の真剣なメッセージ」「訴えかけることがなければ」について書く予定です。
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