トランプ政権のAI推進とSuno裁判は別問題 – フェアユースで有利にならない理由

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トランプ政権がAI開発を促進し、著作権でもAI側に有利な姿勢を示したため「Sunoがフェアユース裁判で有利になった」と考える人は、そこそこいます。

しかし、これは米国の司法制度や著作権法の構造をかなり単純化した見方であり、法的な理解としてはやや浅いと言わざるを得ません。

仮に政府やホワイトハウスが「AI学習はフェアユースだ」とする意見書を裁判所に提出したとしても、それだけで裁判所の判断を覆すことは極めて困難です。

行政側が政治的な圧力をかけたとしても、司法の独立性がある以上、それがSuno側を直接救う決定打になる可能性は低いでしょう。

さらに、音楽業界では著作権だけでなく、録音物や楽曲そのものに関する複数の権利が絡むため、問題は単純なフェアユース論だけでは語れません。

そのため、トランプ政権のAI政策とSunoの裁判結果を直接結び付けて理解するのは、法的な構造をかなり単純化した議論だと言えます。

法的解釈および直近の訴訟動向(大手レーベルとの和解やライセンス市場の形成など)を総合すると、Sunoの無断学習に対する「フェアユース」が裁判所で全面的に認められる確率は、限りなく0%に近い(実質10%未満)と見るのが客観的な専門家の共通見解です。

0%ではないので、どうなるかは断定はできませんが、司法でSuno側のフェアユース(無断学習の完全免責)が全面的に認められ、有利な判断が下される可能性は、実質的に途絶えたと言っても差し支えない状況です。

トランプ政権のAI推進とSunoの裁判結果は別問題

裁判所は行政の政治的意見に「拘束」されない

米国の連邦判事(特に連邦地方裁判所や控訴裁判所の判事)は終身官であり、政権の顔色を伺う必要がありません。

行政(司法省など)が「AI覇権のためにフェアユースと認めるべきだ」とする意見書を提出することは手続き上可能ですが、裁判所にとってそれは「数ある意見の1つ(参考情報)」に過ぎません。

裁判所が従うのは政権の意向ではなく、過去の判例と著作権法第107条の厳格な文言です。

音楽という分野における市場代替性の致命的な強さ

テキスト生成(LLM)や画像の事例と異なり、音楽AI(Suno/Udio)の場合、裁判所が政府の「変容的利用(Transformative Use)だから許容されるべき」という主張を退けやすい決定的な理由があります。

Sunoで作られた曲は、ストリーミングサービス上で、メジャー楽曲と同じリスナー層を対象とし、元の楽曲の代替となり得る形で流通します。

「過去の楽曲を学習して作られたAIソングが、元の楽曲のリスナーを奪う」という構図は、著作権法上のフェアユース判断で最も重視される第4要件(原著作物の市場や価値への影響)において、権利者側(UMG等)に圧倒的有利に働きます。

政府が「技術革新だ」と訴えたところで、裁判官は「技術革新であっても、元の権利者の市場を直接破壊している以上、フェアユースの域を超えている」と判断するのが法理として極めて自然です。

行政の後押しがあっても著作権問題は解決しない

歴史的経緯:行政が負け、司法が勝った過去の判例

歴史的にも、政府や行政機関が技術擁護に回ったにもかかわらず、裁判所が著作権侵害と断じた事例は存在します。

当時、技術開発や新しい通信サービスに対する社会的・行政的な追い風がありましたが、Napster訴訟やAEREO訴訟で、裁判所は「既存の著作権法理の破壊」を認めず、サービス側敗訴(侵害認定)の判決を下しました。

裁判所は「法改正が必要なら議会がやればいい。現行法を解釈する司法の立場としては、明確な権利侵害である」という姿勢を崩さないのが通例です。

実際の現場(Suno/Udioの和解ラッシュ)が示す現実

こうした「行政の圧力があっても裁判所では勝てない」という法務リスクを一番知っているのは、当事者であるAI企業自身です。

実際、ワーナー(WMG)とSuno、ユニバーサル(UMG)とUdioなどが早期に和解・ライセンス提携へと舵を切りました。

もし政権の圧力が裁判所で『フェアユース完全勝訴』をもたらすと本気で踏んでいたなら、SunoやUdioが自らの利益を削ってまでメジャーとライセンス契約を結ぶ必要はなかったはずです。

行政による「フェアユース認定への圧力」は、裁判所の判事に対する心理的牽制や世論形成には多少の影響を与えるものの、「Suno側の完全勝利(無断学習の免責)」を引き寄せる魔法のカードにはなり得ません。

裁判所は政治の思惑から距離を置き、最終的には「権利者の市場を害しているか」という地道な法的要件に基づいて判断を下すため、Suno側が法的リスクを根本回避する道は「行政の圧力に頼ること」ではなく「メジャーとの手打ち(正規ライセンス化)」以外に実質残されていないのが現実です。

著作権侵害、スロップによるマーケット汚染、そして今までクリエイターたちが作ってきたイベントにAI利用を偽って参加する冒涜など、Sunoは音楽文化に対する極めて不誠実な搾取の上に成り立っていると一般的には思われています。

創作の現場と人々のリスペクトを根底から踏みにじる行為を重ねた結果、AI音楽が市民権を得るどころか、AI村のSuno民であったり、スロップ民と揶揄されてしまう状況に至っています。

生成AI音楽に手を染めたことにより、仲間だったはずのクリエイターとの信頼関係を壊してしまった人も少なくないはずです。

裁判の結果はどうなるかはわかりませんが、信者はそろそろ現実を直視したほうが良いのではないかと思います。

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